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久能山東照宮

久能山東照宮















国宝、極彩色の御社殿


久能山東照宮の御社殿は、徳川家康公を祀る霊廟として元和3年(1617)に創建されました。 二代将軍秀忠公の命により宰相頼将卿(後の紀州家の祖頼宣卿)が総奉行となり中井大和守正清を大工棟梁として元和2年5月着工、同3年12月に至る僅か1年7ヶ月と云う短期間に造営されました。 権現造、総漆塗、極彩色の御社殿は日光東照宮より19年前に造られ、彫刻、模様、組物等に桃山時代の技法をも取り入れられた江戸初期の代表的建造物として国宝に指定されています。




徳川家康公について
御祭神徳川家康公は天文11年(1542年)12月26日三河国岡崎城主松平広忠公の嫡男としてお生まれになり、あらゆる艱難辛苦の末、戦国乱世に終止符を打ち天下泰平の世を目指して理想の国づくりにその御生涯を捧げられました。
徳川家康公の国づくりの基本理念は、力による武断政治の終焉と、国民ひとりひとりの命を大切にして教育の充実を図ること、そして対外的には海外の国々と友好的な関係を築き、戦を避けて交易を主とした平和外交を進めることでした。
関ケ原の合戦を勝ち抜き大坂の陣を終え、その旗印である「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」(争いの世界を離れ、この世の浄土、つまり戦乱のない平和で豊かな世の中をつくる)を成し遂げられた徳川家康公は、元号を「慶長」から「元和」(平和のはじめの意)に改め、日本全国に戦いのない平和な時代が訪れたことを宣言しました。
徳川家康公が一生をかけてつくられた平和な時代はその後260年あまりにわたって続き、今日の我が国の基盤となりました。



重要文化財『洋時計』

久能山東照宮には、慶長16年(1611)スペイン国王フェリペ3世から海難救助のお礼として徳川家康公に贈られた洋時計が神宝として残されています。
元和2年(1616)に家康公が薨去の後、久能山東照宮に納められ、大切に保管されてきました。後に家康公の愛用した手沢品のひとつとして、国の重要文化財に指定されています。



三百年祭の様子(徳川家御一門)

東照宮の創建


かくして元和2年(1616年)4月17日徳川家康公の薨後、御遺命により御遺骸を久能山に埋葬、久能城を廃止し東照宮(はじめは東照社と称しました)が創建されました。特に50年毎の神忌に当たっては式年大祭を斎行し平和への祈りを捧げてまいりました。そして、平成27年(2015年)には御鎮座四百年大祭を斎行し現在に至ります。 このように、久能寺建立よりおよそ1,400年余りの悠久の歴史を有する久能山は、古くから多くの人々の信仰を集め様々な歴史を刻んできたかけがえのない聖地といえるでしょう。







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