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和歌山県の観光名所!紅葉も必見!「高野山」

和歌山県の観光名所!紅葉も必見!「高野山」
1. 和歌山県の観光名所!紅葉も必見!「高野山」
平安時代、弘法大師が修行の地として開いたとされる高野山。現在では真言宗の総本山金剛峯寺を始め、117もの塔頭寺院がある日本でも有数の仏教宗教都市です。周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの高野山は、温暖な和歌山県の中では平均気温も低い為、少し早めの紅葉を楽しむことができます。
2004年には世界遺産に指定されたことから、高野山全体が美しく整備されており、山に点在している塔頭寺院の庭園や奥の院など見所が沢山。特に紅葉の季節になると金剛峯寺から壇上伽藍に通じる蛇腹道(じゃばらみち)は、紅葉のトンネルのようで大変美しく、夜間は紅葉のライトアップも行われます。


金剛峯寺とは

高野山真言宗総本山を紐解く
高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって、開かれた日本仏教の聖地です。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。
東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。
高野山開創の物語

高野尋入事 「高野大師行状図」

弘法大師が都遥かに都を離れ、しかも約1000mの高峰であるこの高野山を発見されたことには古くから伝えられる物語があります。
それは、弘法大師が2カ年の入唐留学を終え、唐の明州の浜より帰国の途につかれようとしていた時、伽藍建立の地を示し給えと念じ、持っていた三鈷(さんこ)を投げられた。
その三鈷は空中を飛行して現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていたという。
弘法大師はこの三鈷を求め、今の大和の宇智郡に入られた時そこで異様な姿をした一人の猟師にあった。
手に弓と矢を持ち黒と白の二匹の犬を連れていた。弘法大師はその犬に導かれ、紀の川を渡り嶮しい山中に入ると、そこでまた一人の女性に出会い「わたしはこの山の主です。あなたに協力致しましょう」と語られ、さらに山中深くに進んでいくと、そこに忽然と幽邃な大地があった。
そして、そこの1本の松の木に明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを見つけこの地こそ真言密教にふさわしい地であると判断しこの山を開くことを決意されました。

一山境内地とは

一山境内地とは

総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指します。
普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内といいますが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。
「では、本堂はどこ?」という疑問がわいてくるでしょう。高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になります。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われます。
山内に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)といいます。お大師さまの徳を慕い、高野山全体を大寺(だいじ 総本山金剛峯寺)に見立て、山内に建てられた子院のことです。現在では117ヶ寺が存在し、そのうち52ヶ寺は宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿を提供しています。
正門(せいもん)

正門せいもん

金剛峯寺前駐車場より境内に入って来るとき、最初にくぐられる門を正門といい、金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日まで建っています。
右のほうを見ますと小さな入り口があります。このくぐり戸は一般の僧侶がもっぱら使用しています。昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけでした。一般参拝の方はあまり関係のない話ですが、高野山では門の出入り一つでも、厳しいルールが存在したのです。
https://www.koyasan.or.jp/access/

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